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執筆者の写真理事長 森 顕子

プラス・エデュケート物語 Part6


 「虹の架け橋事業」は不就学・不登校の状況にある外国にルーツのある子どもを学びの場へとつなぐことを目的とした事業でした。そのために、まずは該当する子どもを見つけ出さないといけません。そこで私は、地区の中学校に話を聞きに行きました。


「現在、不登校になっている子はいますか?」

「ブラジル人の子ども?いるけど、大体卒業まで通う子はほとんどいませんね。途中で来なくなってしまう。母国にでも帰ったのではないですか?実際その方が幸せですものね。日本語全然わからないから・・・。」


 つまり、学校としては入学を希望する場合は、受け入れるが、「退学・休学」も自由。「不登校」の状態が問題だとは考えていないということでした。実は恥ずかしながら、私もそこで初めて「日本国籍でない子どもが、(日本で定められた義務)教育を受けることは『義務』ではない」ことを知ったのです。しかし、もちろん国際人権法に基づく観点から子どもの「教育を受ける権利」は保障されています。ですから、当然未来ある子どもたちに、しっかりと教育を受けさせなければなりません。しかし、それは「保護者と本人の意志」に任されているということです。


 さらに、当時その学校ではきちんとした日本語支援体制は整えられておらず、特に13歳や14歳で来日した子どもたちは、全く日本語がわからないのに、みんなと同じ教室で、何もわからない授業を6時間座って聴くという「苦行」を強いられていたのです。もちろん、通訳を介した精神的なケアも十分には行われていませんでした。無理解から生まれる差別的な発言や、いじめもあったかもしれません。結果その学校から「卒業生」も、高校へ進学した子どももほとんどいないという状況だったのです。子どもたちが「卒業」まで通い続けられないのは、理由があることがわかり、これは調査するだけでなく、早急に学校への働きかけと意識改革をする必要があると思いました。


 すぐに、新しく通訳スタッフを雇い、市にも協力してもらえるよう相談しました。当時の市民協働課の方々は親身に耳を傾けてくださり、なんとか個人情報ぎりぎりのラインで、団地の外国人の情報を教えてもらえることになりました。私は通訳スタッフとともに、団地を1室ずつ訪問することにしました。


 教室のある豊明団地は昭和40年代に建てられ、55棟もあり、多い時は6000人以上が暮らしていたと思われます。しかし、今は他の団地と同様、少子高齢化が進み、空き部屋を埋めるように外国人住民が増えたというところです。訪問するにあたり、自治会の方々にも、不審に思われないよう、これから行う調査について説明したり、チラシを作成したりと大急ぎで準備し、さっそく開始しました。


 しかし、古い団地であるため、エレベーターがありません。5階まで階段を上がって、降りての繰り返しに、1日で足が棒のようになってしまいました。途方にくれていると、教室の子どもたちが「先生、何やってるの?手伝ってあげる」と上まで走って、呼び鈴を鳴らしてくれることもあったりして、数か月ほどかけて訪問またはチラシを配布することができました。


 そのかいあってか、ついに不就学の状態にある小学5年生の男の子がいることが判明しました。その子をきっかけにプラス・エデュケートの不就学・不登校の子どもたちへの支援が本格的に始まることになりました。


つづく・・・・・

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